2012年12月31日 (月)

【2012年の終わりに】ゲンはずっと怒っている

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「戦争、原爆がなければ、家族が散り散りになることも、僕らの住んでいた広島がめちゃくちゃになることもなかった」=中国新聞の評伝から。


中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を母から勧められて見たのは小学生のころでした。美辞麗句抜きのリアルな痛みがそこにはありました。

忘れられないのは、顔にやけどを負い、自殺を試みる少女をゲンが厳しくも暖かく励ますシーン。苦しく悲しい思いがあの時代、たくさんありました。みな涙し、助け合い、そして笑って明日をひたすら生き抜きました。

「こうやって手を合わせる心境にはまだなりませんね。もっと歳を取ったらそういう気持ちになるかもしれないけど、今の状態じゃ、絶対に僕は手を合わせて『安らかに寝てくれ』なんて。(言えるわけがない)安らかに眠れるわけがない、本当にひどい目に遭って」

原爆慰霊碑を前に、顔を真っ赤にして今にも怒り出しそうな姿が焼き付いています。

あの日。むごい、その一言だったでしょう。戦後は黙って耐えて。そんな人がどれほどいたことか。

「戦争だけは絶対、反対しろよ。

今年の締めくくりとして。忘れません、きっと。

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2012年2月13日 (月)

【原爆献水の宇根さん死去】小さな体に秘めた意志 

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 人間が死ぬとき、あんな残酷な死にざまはありません。以後、二度とああいう地獄は見たくないし、見せられたくはありません。
 核爆弾は人類だけでなく、命あるすべてのもの、人間が作り出した芸術などの文化も破壊して撲滅(ぼくめつ)するものです。絶対に使ってはならない、使われてはならないと願っています。


 原爆死没者慰霊碑に献水を続けてきた被爆者・宇根利枝さんが10日、亡くなりました。93歳。きょう葬儀が行われました。最初のメッセージは、ヒロシマの心を伝える会のホームページからのものです。

 <被爆体験談はここから

 <被爆体験の肉声版はここから

 水が入ったコップが慰霊碑に置かれているのを見かけたことはありませんか。「原爆献水」など書かれていたら、きっと宇根さんがささげたものだったでしょう。

 50年以上、三滝など各地の名水を汲み、それを入れたペットボトルを積んだ小さなカートを引きながら慰霊碑を回っていました。小さな小さな体に、「あの日を繰り返すまい」という思いを秘め、犠牲者の冥福をただひたすら祈りながら。その強い意志は、やさしい表情からは思いもつないほどでした。

 原爆資料館元館長の高橋昭博さん、アオギリに希望を託した沼田鈴子さん。広島では、核兵器の恐ろしさを伝え続けてきた被爆者の訃報が昨年から続きます。全国の方に伝えたい。広島ではもう、肉声で被爆体験を聞くことはとてもとても難しくなっています。

 宇根さんの活動は、若手に引き継がれました。宇根さんが広げてくれた、美しい水のような心。忘れません。

 広島市の市民と市政2008年8月の記事は ここから 。


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2011年7月12日 (火)

【沼田鈴子さん死去】希望のアオギリ 平和の種まき続け…

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 平和記念公園の被爆アオギリの下で被爆体験の証言を続けていた語り部・沼田鈴子さんが12日、亡くなりました。87歳。

 爆心地から約1.3キロの旧広島逓信局で22歳の時に被爆し、建物の下敷きになって左足を切断。被爆後の広島で芽吹いたアオギリに生きる希望を見出し、アオギリ2世・3世の種を国内だけでなく、世界へ広める活動に力を入れていました。

 英語で被爆体験を続ける松原美代子さんが立ち上げた<ヒロシマの心を伝える会>に沼田さんの被爆体験談「ヒロシマ風化させない 平和な時こそ行動を」があります。制作に携わった時や、原爆資料館のピースボランティア活動で子どもたちに語りかける姿をよく見かけました。

 沼田さんはいつも穏やかで、そしてにこやかでした。それが被爆体験となると、「戦争は絶対にいけない」という思いがことのほか、力強く伝わりました。結婚したばかりだったご主人も戦争で失うなど、心と体にどれほどの痛みを刻まれたことでしょう。
 

 >被爆体験談=テキスト版( ここをクリック )
  http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hibaku/text/numata.htm

 >被爆体験談=音声版( ここをクリック )
  http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hibaku/mp3/numata.html


  デザイナー青葉さんの訃報を聞いたばかりで、寂しい知らせが続きます。沼田さんは22歳で被爆したため、体験談も詳しく、その後の活動も豊富でした。その意味でも、「あの日」を本当に語れる被爆者はみな体力もグッと衰え、簡単に話ができる状況にはもう、ほとんどありません。それは一体、どういうことなのか。今、問われています。

 私たちにせめて言えることは、戦争や核はもちろんですが、誰かが悲しい思いをすることがないよう、少しでも希望を持って生きられるよう、心にしっかり留めておくことなのでしょう。

  葬儀は14日午前10時から、平安祭典広島東会館で。

  再び、ご冥福をお祈りします。


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2010年8月16日 (月)

【終戦の日】「人間の国」へ

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「終戦の日が盆と重なり(略)、戦争の記憶と相まって列島の情念が一番深まるときである。得たものと失ったものを省みるに相応しい日でもあろう」。朝日新聞の天声人語を読んでいたら、こんな文面が目に留まりました。

失ったもの。それは、国内だけでも300万人を超す人々の命です。作家であり平和運動家であった小田実さんの言葉を思い起こしました。

阪神大震災でつくづくこの国は「人間の国」じゃないと感じた。
 (略)
「文化と平和を重視して、そこそこ食える国になればいい」というのが敗戦直後の国民的コンセンサスだったのに、いつのまにかまた、国民生活を犠牲にしてでも経済を発展させる方向へ行き始めた。

日本人は「殺し、奪い、焼き」の歴史を45年まで続けてきて、「殺され、奪われ、焼かれ」の結果で終わった。暴力はいかんということを体験済みだ。

「人を殺してはならない」というが、これは違う。「殺されてはならない」と考えないと。よく「言論の自由を守れ」というだろう。これは「言論の自由を使え」という方が正しい。自分の言葉を狭い範囲でしか通じないものにしてはいけない。

分かりやすく伝える技術を磨き、良心と良識に基づいて事実を踏まえて語れば、暴力の連鎖は断ちきれる。


人間の国を取り戻そう。平和と文化を愛する国を。

もしかすると、広島はその出発地かもしれません。

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2010年8月12日 (木)

【NHK証言記録】戦争の実態あぶり出す

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 太平洋戦争の実態を兵士ら前線の体験者の証言でたどるくNHK「証言記録 兵士たちの戦争」。この番組がネットで無料公開されています。ホームページから「戦争証言アーカイブス」を開くと一覧が出てきます。1992-93年に放送された「NHKスペシャルドキュメント太平洋戦争」なども公開されており、血なまぐさい戦争の実態がリアルに写し出されます。

 その量に驚かされるのが戦争体験者の証言です。これらの番組制作で現在、310人の証言を集めているそうです。この取り組みは太平洋戦争開戦70年の2011年を目指してNHKが進めている「戦争証言プロジェクト」の一貫で、「空襲や疎開など市民の戦争体験も含めた1000人の証言を集めたサイトに育てていきたい」と記されています。戦時中の日本ニュースの動画を見ると、国策の恐ろしさを振り返ることもできます。

 「証言記録…」は地上波でも夜、再放送されています。いかに戦場が悲惨か。いかに戦争が愚かか。いかに兵器が恐ろしいか。そしていかに人を苦しめ、悲しませ、痛めつけるか。美辞麗句で語られがちな戦争の実態がここにあります。

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2010年8月 8日 (日)

【8・6は続く】耳を傾けよう

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東広島在住の詩人・井野口慧子さんが平和への願いを込め、原爆ドーム周りに自生するシロツメクサを詩にしました

  「あの日の悲しみが花になって 咲きめぐる」
  「忘れないで 忘れないでと 歌っている」

この詩がマサニイこと奥野勝利さんによって曲になり、このほど披露されました。
  
29年前、井野口さんは11歳の娘さんを亡くされています。

<自分の娘一人を病気で亡くしただけでもこんなにつらくて苦しいのに、原爆が落とされたとき、家族全員を亡くした人がいっぱいいるわけですよね。それを考えたら、広島に生きていて、何か書かないといけないんじゃないか、そう思ったんです> 

広島テレビの特集でこう語っていました。

愛する人や生まれ育った街を失った悲しみ。
「一日たりとも消えることはない」。
多くの被爆者が口をそろえます。 

「忘れないで」。
生きたくても生きられなかった多くの御霊の声が聞こえてくるかのようです。

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原爆はあらゆる人間的な悲惨さをこの街にもたらしました。
だからこそ、広島はやさしい街であってほしい。
日本のどこよりも、いや世界のどの街よりも。
親切で人懐っこく。支えあい、助け合い、結び合い。
心を痛めている人たちをあたたかい風で包む街であってほしい。
 
8月6日。
シロツメクサがふわり揺れていました。

 あなたの悲しみは、広島の悲しみ。
 あなたの喜びは、広島の喜び。

そう聞こえた気がしました。

「原爆の日」は、この日だけではありません。
悲しみの記憶や追悼とともに、次代への希望をもつむぎながら。
広島の時は、私たちとともに永遠に続きます。
 

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2010年8月 5日 (木)

【8・6前夜】平和のデザインを

平和のデザインここから

「崩れぬ平和を返せ」−。アメージンググレースの峠三吉さん原爆詩集バージョンが原爆ドーム前の元安川に響き渡ります。

うっすら川面に浮かぶヒロシマアピールズポスター。仲條さんや長友さんら歴代デザイナーの作品です。

雲と風でなかなか難しい結果でしたが、スタッフや学生の皆さんの情熱はすばらしいものでした。

ここヒロシマから本当の平和がデザインされることを願い、あすを迎えます。

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【8・6前夜】静かに、そっと

静かに、そっと

あすは65回目の原爆の日です。

被爆者や遺族の方たちは、式典にはあまり顔を出しません。未明から平和公園を訪れ、手を合わせます。

静かに、そっと。

ヒロシマの祈りは始まっています。

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【原爆孤児・川本さん】「母ちゃんの祈り」

母の祈り
 
 笑顔の裏には壮絶な人生があります。これほどの人を私は知りません。

 原爆孤児の川本省三さん。

 原爆資料館でボランティアも務められています。体験記の続編「母ちゃんの祈り」をごとう和さんがこのほど漫画化しました。

 戦後、孤独を生き抜いてきた支えは、「母ちゃん」の忘れられぬぬくもりでした。教わった折鶴ヒコーキを子どもたちに今も平和の願いとともに伝えています。

http://www.asahi.com/special/npr/OSK201008040112.html

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【8・6前夜】祈りか怒りか。忘却か継承か。

祈りか怒りか。忘却か継承か。

広島はあす、原爆の日を迎えます。

「ここは墓地なのです」という言葉が、ここ広島にはあります。

そう。記憶はまだ残っているのです。

戦後65年。

もういい、と語れる資格は誰にこそあるのでしょうか。

未曽有の悲しみが間違いなくありました。

それを教訓に結びたい。

祈りよ広がれ

8月6日を前に平和公園には海外などから多くの人が訪れています。

ここは「原爆の子の像」。

佐々木禎子さんモデルの少女がかざす手の先には、伸び伸びとした青空が広がっています。

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